Q: なぜ、訪問看護の仕事をしようと思ったんですか?
- 長くなりますよ(笑)
私は、これまでいろんな仕事をしてきたんです。それらの仕事が今の仕事に巡り合わせてくれたように思います。
看護学校を卒業して初めて働いたのが、病院でした。救急の病棟で、温度も湿度も空調で管理されていて季節感を全く感じることができない職場だったんです。
患者さんは毎日この無機質の部屋で、天井をじ~っと見つめているんだ・・と思って、ふと私も見上げてみたんです。天井にこうこうと光る蛍光灯を見て、嫌だと思ったんです。ここでこのままいるのは・・・。
そして、気づいたんです。私は四季折々を感じられない建物の中で働くのは向いていないということに。
そんな中、そこを辞める決定打になることが起こったんです。
ある日、患者さんに季節を感じてもらいたいと思って、綿や画用紙を使ってサンタクロースを作って、窓に貼ったんです。そしたら先輩に呼ばれました。そして、「ここは保育園じゃない。すぐ除けなさい。」と叱られたんです。なんで叱られるのか意味が分からなくて・・・。1階下の子ども病棟では折り紙や絵など貼って、楽しそうな雰囲気にしてるんですよ。大人も同じ人間なのに楽しい雰囲気にしちゃいけないの?って大きく疑問に思ったんです。私も若かったからかもしれないですね。
ここは私の価値観と違うので辞めようと決意したんです。
働くのは、季節を感じられる場所がいいなあと思っていたら、ある介護施設で看護師を募集していました。そして、そこで働くことになったんです。
そこで働いた経験で今に繋がっているのは、血の繋がった家族と一緒に過ごすことが一番幸せなんだと気づかされたことです。
その介護施設で、すごく慕ってくれていたお婆ちゃんがいたんです。他のスタッフが見ても、私と一緒にいる時が一番うれしそうな顔をするねって言われていたくらい。私自身も、このお婆ちゃんを慕ってたんですが、ある日、めったに来れない家族の方々が見えたんです。
すると、そのお婆ちゃんが、私自身も見たことのないような幸せそうな顔をしたんです。
その時、気づきました。やっぱり、家族には敵わないなって。他人である私には越えられない壁があるんだなって。
そして、思うようになったんです。施設で家族と離れて過ごすよりも、できる限り家族と一緒にいさせてあげたいなあって。
Q: それで訪問看護の仕事をするようになったのですね!
- いえ、まだですよ(笑)
その次に働いたのが、島の診療所です。高度な医療や設備など積極的な医療を希望する人達は島外の医療機関にかかっていて、終末期を迎えてから帰島する人達を迎えるような診療所でした。離島ならではの問題も多くて、在宅死を希望してもなかなかその願いが叶わず、診療所で最期を迎える人も多いというのが現状でした。
そこでの経験でも、私が一生忘れられない思い出があるんです。
それは、診療所に入院していた乳がんの女性でした。がんが脊髄に転移して下半身麻痺になっていました。島外の病院で治療を受けていたのですが、これ以上手の施しようがないと言われ、診療所に転院されたのです。
彼女は、息子さんが1歳の時に発病して闘病生活が始まったので、お子さんの育児になかなか関われず、思春期に差し掛かっている息子さんとの接点がなかなか見つからない様子でした。でも、旦那さんが毎日会社帰りに診療所に来ては二人で話をしていて、とても仲の良さそうなご夫婦でした。
診療所に入院してから、気分の良い日は外出して、何度か家の前までは車イスで行くことがあったのですが、どうしても家の中に入ろうとしないのです。「私達看護師が付き添うから家に帰りますか?」と言っても、「大丈夫です。」の返事が返ってくるだけ・・。
ある日、海が見渡せる丘に連れて行って欲しいというので、車いすを押して連れて行ってあげたんです。その方は海の方を静かに眺めていました。ふと、彼女を見ると、涙がつぅって流れていました。その時は、なぜ泣いているのか分からなくて、「お家に帰らなくてもいいんですか?」ってまた聞いてみたんです。でも、やっぱり、「大丈夫です。」の返答でした。
彼女は、ガンの進行が進んでいたので、かなりの量のモルヒネを使用していたのですが、驚くことが起こったんです。ある日から「モルヒネは使わなくても大丈夫です。」と言い出し、ほとんど中止になったのです。かなりの痛みがあるはずなのに・・・。なんで急に?って思ったんですが、分かったんです。その方が、薬の請求書を偶然に目にしたということを。
私の推測なんですが、その額を見て、これ以上家族に負担をかけられないって思ったんでしょうね・・。がんの痛みや倦怠感よりも、家族への負担の方が痛みとして大きく、自制していたのでは・・と思います。
彼女が最期を迎えた時の様子は、今でも忘れられないですね。
最後の力を振り絞って必死で何かを言おうとしていました。ただ、それは言葉になっていなくて、目には涙が浮かんでいました。私が、「何か言いたいことがあるのですね。息子さんのことですか?」と話しかけると、大きく頷いていました。「もう何も言わないでも大丈夫ですよ。息子さんは分かっていますよ。伝わっていますよ。」と言うと、彼女は大きく頷いて目を閉じました。
その数分後に、心拍数が減り、息を引取ったのです。
その方が亡くなった後に気づきました。
丘の上から眺めていたのは、彼女のお家だったことを。
本当は帰りたかったんだなあって思うと、涙が止まらなくなりましたよ。彼女は、息子さんの子育てに関われないまま闘病生活を島外でしていたので、島に帰ってからは息子さんとの距離を少しでも縮めたいと思っていたのでは・・と思いました。
でも、診療所にいる彼女と息子さんとの距離は近くて遠いものだったのではないか・・・と今でも自問自答しています。
もうね、こんな風に心に残る症例がいっぱいあるんです。こんな経験をしてきたからこそ、訪問看護の仕事に出逢えたのだと思います。
これまでの経験があるからこそ、最期は家で家族と過ごせるようなお手伝いをする仕事をしたいと思うようになったんです。
その後は、結婚や出産を経て、看護学校での講師も経験して今の仕事に出逢ったんです。
Q: 訪問看護の仕事を実際にしてみてどうでしたか?
- 私、この仕事が吐き気がする程好きです(笑) 自分の存在価値を感じることができるんです。
私は中学生くらいから、「なんのために生きてるんだろう」とか、「生きている価値ってなんだろう」って考える子だったんです。周りの人達からはよく、そんなこと普通考えないよって言われますけどね(笑)
今の仕事をしながら、自分が何のために生きているのか答えを見いだせたように思います。
もちろん、厳しい面もありますよ。2人の子どもをどうやって育てたのか覚えてないですもん(笑)
特に、子どもが小さい時には、オンコールで夜中に出ないといけない時には辛かったですね。娘が泣き始めることもあったし・・。
そんな時にはお義母さんに電話して来てもらっていました。そう思うと、周りの人達に支えられているからこそ、仕事を続けられているんだなあって思います。お義母さんには本当に感謝しています。
Q: そこまでしても続けたいって思うのは、それだけこの仕事が好きだからでしょうね。
この仕事の魅力って何だと思いますか?
- ちょっと先を生きた人達の人生に関わらせてもらって、本当に多くの勉強をさせてもらっていることです。
どう生きるべきなのか、直面した出来事にどう立ち向かうべきなのか、生き方を教えてもらっているように感じます。やっぱり、最期は、その人の生き様が表れるんです。人は、結局、生きてきたようにしか死ねないんだということにも気づかされました。
様々な人達の人生に関わらせていただきながら、生きることに関して深く考えさせられる仕事ですよ。
Q: ただ、人の死に直面するのは精神的にしんどくないですか?
- もちろんしんどいですよ。
だからこそ、うちでは、仕事から帰ってきてからはここ(事務所)で全部吐き出すようにしてもらっています。口に出したり、聞いてもらうことによって心の中がすっきりすることってあるじゃないですか?心に抱えたままにはしないようにしています。
ただ、一方で、この仕事を通じて、自分自身も癒されているし、救われているというのも事実なんです。ご利用者を通して見聞きしたこと、経験したことが、自分の中に吸収されて、また違う形で生かされているように思います。
また、訪問看護の仕事は、ご利用者が亡くなってからも、ご家族との関係は続くんです。
今まで一緒に過ごしていた大切な家族が急にいなくなって、ちょくちょく通っていた私達も通わなくなるじゃないですか?そうなると、ご家族の心にぽっかり穴が開くみたいですね。メールとか電話で連絡してくれたり、私自身もやっぱり気になって連絡しますしね。
そうやって一家族、一家族に長期的に関わらせてもらっていて、ご利用者が亡くなったことが終わりでは無いんです。ご利用者とそのご家族から、生き方や家族のあり方などいろんな学びを頂いていて、さっきも言ったかもしれませんが、人生の先輩達に生き方について教えられている気がしますね。
Q: 最後に一言お願いします。
- よくブランクがあるから・・・という声を聞きますが、実は、仕事のブランクの間に経験したことが今後の糧になっているということに気づいて欲しいですね。結婚の経験、出産の経験、子育ての経験、離婚経験も訪問看護の仕事にかなり活かせます。
訪問看護の仕事は家の中に入ってさせていただく仕事じゃないですか?いろんな経験をしていた方が、嫁や母親や孫の立場に立ってご家族の話を理解できるし、話ができるんです。
これまでの経験は、どんな経験でも今後の役に立つんだということを知って欲しいと思います。
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